本紙サイズ…横 28 × 縦 67 cm 総丈サイズ…横 41 × 縦 159 cm 紙本水墨・箱入 円山応瑞描表具 円山応震極 天明4年(1784)52歳 状態…表具少シミ、本紙少オレ・少傷ミ 【印刷ではありません】 【真作保証】 円山応挙 江戸中期の絵師。円山派の祖。丹波国桑田郡穴太村に農家の次男として生まれる。10代の頃に京都に奉公に出た先で眼鏡絵に出会い、主人の勧めもあって石田幽汀に狩野派の画法を学び始め、画家としての頭角を現す。写生に最も重きを置いたことでも知られる。夏雲、雪汀、一嘯、仙嶺、僊斎、星聚館、鴨水漁史、攘雲、洛陽仙人と号す。応門十哲を始めとした数々の門人たちの指導にもあたった。寛政7年(1795)歿、63歳。 円山応瑞 江戸後期の画家。京都生。円山応挙の長子。姓は源。通称は卯三郎、右近、主水。字は儀鳳。号は怡真堂。円山派の2代目。父に画を学び、その画風は「家法を守る」と評され、応挙の築いた画風を一歩も出ることはなかったという。寛政の内裏造営の際には応挙一門として父とともに障壁画の制作に加わわった。文政12年(1829)歿、64歳。 円山応震 江戸後期の絵師。京都生。字は仲恭。別号に百里、星聚館、方壺など。円山応挙の次男木下応受の子として生まれ、のち伯父の円山応瑞の養子となる。円山派の3代目。人物・山水・花鳥を能くし、祇園祭郭巨山見送「唐山水仙人図綴織」、月鉾水引「双鸞霊獣図刺繍」下絵を書いたと言われる。子がなく、円山応立を養子として円山派4代目とした。門下に国井応文ら。天保11年(1840)歿、52歳(一説に天保9年歿、49歳)。 作品についてのご不明な点、ご質問等ございましたらお気軽にお問合せ下さい。
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